スペクトラムに量子的

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スペクトラムに量子的

臨床心理学について書くブログ

臨床心理学的「スペクトラム」の主張

こんにちは。

今回は「スペクトラムに量子的」といういささかへんてこりんなブログタイトルについて書きたいと思います。

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スペクトラムとは

さて、ブログタイトルにスペクトラムと量子的という2つのワードを入れ込んでいるわけですが、今回はスペクトラムについての説明を。

スペクトラムというのは、もともと物理学の用語です。訳すると、連続体とかそういう意味で、もともとは、ニュートンが命名したようですね。

光を分光器によって分解したとき,波長または振動数の関数として与えられた光の強度分布をいう。単にスペクトルspectrumと呼ぶことが多い。ニュートンが,プリズムを通した太陽光が赤,だいだい,黄,緑,あい,紫の色光に分解されるのを観測し,これをスペクトルと名付けたのが最初である。このように元来は可視域の光に対して用いられた語であるが,現在では電波,赤外線紫外線γ線など電磁波の全領域に拡張されて用いられており,さらに電磁波に限らず,ある特定の量を分析して順序だてて配列したものをスペクトルと呼んでいる(スペクトル)。

引用元スペクトル(すぺくとる)とは - コトバンク

そして、こうした”連続体”という考え方を精神医学の分野において、発達障害の分類に援用したのがイギリスの精神科医であるローナ・ウィングさんでした。

 

発達障害とは

 「発達障害」という表現を見聞きしたことがある人はわりに多いのではないかと思います。

www.mhlw.go.jp

発達障害は大まかに、広汎性発達障害学習障害、注意欠陥・多動障害、レット障害などに分類でき、その原因は脳の機能障害によるのではと推測されています。コミュニケーションや学習などに困難をかかえる人が見受けられますが、限定された対象への過度な興味や驚異的な集中力を発揮して特定の分野でめざましい成果をあげる人もいます。

ちなみに、「自閉症」や「アスペルガー症候群」と呼ばれる障害は「広汎性発達障害」の下位分類に当たります。

こうした障害については、アメリカ精神医学界が作成する「精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)」に診断基準が明記されているのですが、その最新版(DSM-5)で分類の変更がありました。

 

神経発達症と自閉スペクトラム

発達障害」→「神経発達症」

まず、「発達障害」という大分類のネーミングを「神経発達症」と改めました。たしかに「障害」という呼称にはネガティブ要素が強いし、そう診断された人のショックは大きいでしょうから、賢明な判断だと思います。

 

「広汎性発達障害」→「自閉スペクトラム症」

次に、これまでは「自閉症」や「アスペルガー症候群」と呼ばれる障害を「広汎性発達障害」の下位分類としていましたが、DSM-5ではそれらの下位分類をなくして「自閉スペクトラム症」というひとつの連続体として捉えなおすことにしました。

下位分類の概念が未整理であったり、診断名で障害を判断してしまう危険性があることもその理由となったようです。

以下に図示してみましょう。

[before](「広汎性発達障害」の下位分類が5つあります)

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[after](下位分類はなくなって「自閉スペクトラム症」と呼ぶようになり、連続性が重視されています)

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 図は以下ページより引用

www.adds.or.jp

臨床心理学的「スペクトラム」の主張

ここまで 臨床心理学的「スペクトラム」の話を長々としてきたのですが、僕は連続体という考え方が結構好きで、とくに人間関係に関しては、そういったスタンスで向き合うと楽なんじゃないかなと考えています。

あの人は○○だから△△などのように、断定して分類してインデックスを貼るのは、人付き合いには馴染まないような気がするのですね。

「あの人は好き」、「あの人は嫌い」というのも極端な2分法で、少なくとも「あの人はいい人ではあるんだけどね。。。」という意味での「いい人」を中間点に含めた、3点間でのスペクトラムで捉えるとそんなに腹も立たないのではと思います。

好き←-→いい人←-→嫌い

そもそも僕はあまり断定することを好まないというか、もともとが曖昧な性格なので、スペクトラムという考えがしっくりくるのかもしれません。

さて、ようやく結論ですが。

なぜブログタイトルに「スペクトラム」という言葉を使ったかといえば、なにかと「敵」と「友」をはっきりと分けたがる風潮が高まっている昨今「どちらとも言えない」という曖昧な物事の捉え方が、ある種の抵抗でもあり癒しになり得るのではとささやかながら主張してみたかったからなのです。

 

今回はここまでに。