スペクトラムに量子的

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臨床心理学について書くブログ

「日本の心理療法(思想編)」を読む

こんにちは。

今回は「日本の心理療法(思想編)」の読書メモを簡単に。

 本書は、日本で生まれた3つの心理療法内観療法、生活臨床、森田療法)について書かれた本です。各療法の理論家や実践家が創始者の来歴を語り、実際の事例を紹介し、各療法についての解説があります。また、個別の療法の枠を越え、日本の心理療法とは何かという大きなテーマの座談会も掲載されています。

当ブログ主はもともと、神話・宗教学的な関心→河合隼雄ユング心理学のような流れで臨床心理学への関心を持ったわけですが、われわれが学ぶ心理学は西洋世界に由来しており、本を読んでみてもストンと腹落ちしないところがありました。

西洋世界がキリスト教的・一神教的な文化によって成り立っており、東洋世界は多神教的文化によって成り立っているという大きな相違点が腹落ちしない原因だろうなあ、とは考えていましたが、本書掲載の座談会ではその点に触れられていておもしろかったのです。

簡単なまとめ

フロイトに始まる精神分析は、無意識を意識化することを目指します。そして意識化するということは言語化するということでもあります。精神分析に限らず、無意識下から問題を意識上に引っ張り出すことで、言語化し認識できるようにすることで治療するという手続きが、西洋世界の心理療法のおおまかな仕組みといえるでしょう。

一方、日本で生まれた心理療法は、意識しているもの(問題・症状)を受け入れ、意識しなくなることを目指します。つまり問題を焦点化し治療するということを目的とはしていないのです。そして究極的には自然と一体になることを目標としています。老荘思想にある無為自然の考え方も影響しているのでしょうか。別の言葉でいうと執着しなくなることを目指すということかもしれません。

なるほど日本の心理療法は、多神教的・道教的・アニミズム的に感じられますし、日本(に限らず東アジア)文化にマッチングしたもののように思えます。しかしながら、西洋由来の心理療法と比べるとエビデンスがないという物足りなさがあります。

とはいえ、日本の心理療法がサイエンス化してしまえば、意識→無意識→自然という大きな流れを阻害してしまうかもしれません。というのもサイエンスというのは、分類し分けていくことを意味しているし、それは意識・認識するという要素を必然的に含んでいるからです。

また、本書には神経症者や統合失調症者の事例・解説はありましたが、発達障害者についての事例は掲載されていませんでした。

 

以上読書メモ、今回はここまでに。