その1:人間が問題なのではない、問題が問題なのだ「ナラティブ・アプローチの理論から実践まで」を読む
こんにちは。
今回は「ナラティブ・アプローチの理論から実践まで」の読書メモです。
脱構築とナラティブ・アプローチ
ナラティブ・アプローチは、クライアントとカウンセラーが言葉のやり取りをするなかで、困りごとや自分自身に対する新たな理解が生まれ、その理解をもとにした新たな意味づけ・可能性を探るカウンセリング技法です。
その理論的背景には、フランス現代思想の哲学者であるフーコーやデリダの唱えた「脱構築」という概念があります。簡単にいうと以下のように定義できるでしょう。
ある対象を解体し、それらのうち有用な要素を用いて、新たな、別の何かを建設的に再構築すること。
問題を外在化する
ナラティブ・アプローチは、脱構築を試みる手段・方法として「抱えている困りごと(問題)」が与える影響を描写し外在化する」会話法を使用します。そうすることでオルタナティブ・ストーリーを探し、好ましい物語の履歴を書き上げていくわけです。
問題を外在化することで、クライアントはある程度客観的に問題を語ることができるようになります。そうすると「人間が問題なのではなく、問題こそが問題」なのだという認識が生まれ得ます。
同時にクライアントが捉えている「ディスコース」について「その考えは本当にそうあるべきか?」という問いかけを行います。ちなみにディスコースとは「世界のあり方について述べる、おおよそ筋の通った物語や声明のかたまり」のことです。
たとえば「男は外で働き、女は家を守る」はかつて力を持ったディスコースですね(今でも影響があるかもしれません)。「嘘をついてはいけない」というのはかなり強力なディスコースでしょう。「人を殺してはいけない」というのは脱構築してしまうと、それはそれで危険なような気がします。
ともあれ、ディスコースを検証していくことで、より好ましいオルタナティブ・ストーリーを発見することが可能になるわけです。問題を外在化し、ディスコースを検証していくことがナラティブ・アプローチの要諦なのでしょう。
付け加えると、ディスコースを脱構築できると考える理論的背景に「社会構築主義」という考え方があります。この考え方によると、ディスコースは絶対的なものではなく人間の頭の中で構築されたものと捉えられますから、新たな意味づけをすることが可能になるわけです。
社会構築主義(しゃかいこうちくしゅぎ、英: social constructionism, social constructivism)とは、人間関係が現実を作るという考え方である。現実、つまり現実の社会現象や、社会に存在する事実や実態、意味とは、人々の頭の中で(感情や意識の中で)作り上げられたものであり、それを離れては存在しないとする、社会学の立場である。
エイジェンシーを持つ
大きな問題、手の付けられない問題、解決不能に思える問題を抱えるクライアントは、しばしば「エイジェンシー」を失ってしまいます。エイジェンシー(Agency)は、訳すると「代理権・代理行為」というような意味になりますが、この場合は社会学的な意味である「人間が行為する際の主体性」という捉え方が適切でしょう。
ナラティブ・アプローチではクライアントがエイジェンシーを持つことを重視します。なぜならば、クライアントが自らの声(意味づけ)で語り、自らが問題に働きかけることのできるオルタナティブ・ストーリーを探していくことが目的だからです。
ここで従来のクライエントとカウンセラーの関係を考えてみましょう。カウンセラーは専門家であり、クライアントはその専門家にアドバイスをもらうという、ある意味での主従関係が想定されています。もちろん、カウンセラーにその気がなくとも、そうしたディスコースがすでに構築されてしまっていることは否めないでしょう。
そうしたディスコース下においては、クライアントのエイジェンシーは損なわれやすく、自らが自分自身の専門家となって自身の問題に取り組む(オルタナティブ・ストーリーを探す)というマインドセットが起こりにくいのではないでしょうか。
しかしながら、ナラティブ・アプローチはより好ましいオルタナティブ・ストーリーを探すことを目的とするわけです。その手がかりは当然ながらクライアント本人が持っているわけで、さらにいえばディスコースを脱構築するには、クライアントが主観的に新たな意味を構築しなくてはなりません。
そういった意味で、クライアントがエイジェンシーを持つことは、ナラティブ・アプローチの必要条件といえます。
今回はここまでに。