スペクトラムに量子的

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臨床心理学について書くブログ

季節の変わり目に勃発するエアコン問題と何を我慢するか問題について

こんにちは。今日の東京はGW中とは打って変わり肌寒く、かつ雨天という芳しくない天気ですね。

さて、当ブログ主は某大学に勤務しているのですが、季節変わりのこんな日は苦労することがあります。この前まではすごく暑かった、そして今日は結構寒い、季節は春から初夏へと移行中でクールビズ期間が始まった、そんな時期の出来事です。

それは、そうエアコン問題の勃発です。

エアコン問題とは何か?よくわからないですよね。簡単に説明しますと、職場のエアコンは集中管理されておりまして、部屋ごとに設定変更ができないという問題があるのです。

集中管理の程度はソフト~ハードまでいくつかのレベルがみられ、もっともソフトな設定は《冷暖房の切替可能かつ室温変更可能》です。もっともハードな設定は《冷暖房選択権無かつ室温変更不可》です。

ちなみに当ブログ主の勤務するオフィスの設定は《冷暖房選択権無かつ室温変更可能》です。管理レベルはミディアムといったところですが、今日のような季節が初夏へ移行中の寒い日はとても困ります。

要するにエアコンは《冷房》に設定されており、変更ができないのですね。エアコンを起動しても冷房運転しかされないわけです。コントロールパネルにも《冷暖選択権無》と私の無力さがはっきりと表示されています。

冬場に使っていた電気ヒーターを引っぱり出してきて暖をとりましたが、なんだかモヤモヤっとした気持ちが湧いてしまったので、ブログにでも記しておこうと思った次第なのです。こういうことって日本のあちこちであるんじゃないかなあ。

まあ夏になったらなったで《冷房強い/弱い問題》が発生することでしょうし、冬場には暖房で同様の問題がみられるでしょう。いずれにせよ集中管理システムを受け入れ我慢するという訓練が実装されまくっています。

ひょっとしたら国民性みたいなものは《何を我慢するのか》、もっと言えば《何を我慢すべきとされているのか》というポイントに現れるのかもしれません。この辺りは宗教的なドグマが社会的に機能しているかなども関係してきそうです。

たとえば《ルールだから守ります》という態度と《意味のあるルールだから守ります》には随分と違いがあります。後者の立場では、ルールを守るかどうかは《意味があるかどうかの判断》を伴います。

前者の立場は《ルール順守型》のため《ルールを破る(守らない)判断》が苦手でしょうが、後者の立場では、それはしごく普通の日常であるはずです。日本人は明らかに前者が多いでしょうし、学校教育もそれを助長していると思われます。

以下のようなことが起きてしまう背景にも学校教育の影響があるのかもしれませんね。それにしても、(話を戻すと)いい大人なのだから冷暖房選択権くらいの権利は認められて然るべきだと思います。

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今回はここまでに。