スペクトラムに量子的

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臨床心理学について書くブログ

心理臨床的post-truth

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こんにちは。

今回は「心理臨床的post-truth」というタイトルで、昨今気になる世間の風潮について思うところを書いてみます。

post-truth」は「客観的な事実や真実が重視されない時代」を意味し、オックスフォード英語辞典にも収録された造語です。イギリスのEU離脱時やトランプ選挙時の言説でクローズアップされました。

まずは「post-truth」を考えるネタとして以下の記事を紹介します。

www.huffingtonpost.jp

他者を拒否する「post-truth

記事を一読してみたところ、山本大臣の発言には根拠となる証拠・事実が見当たりません。あるのは見当はずれの一方的な思い込みだけです。それゆえに突っ込みどころ満載で、いくつもの論点設定が可能な話題なのですが、ここでは「post-truth」という視点で記事を考えてみたいと思います。

現状を把握せずに「こうであってほしい」とか「こうに違いない」とか「こうあるべきだ」といった個人的願望を、さも「真実であるかのように」公的な立場で発言する。その目的は受け手(国民)の操作なわけですが、屈託は微塵も感じられません。むしろ、自らを信じて疑わないある種ピュアといってもよい態度が目につきます。

そうした「post-truth的振る舞い」には、他者への配慮が決定的に欠けています。他者の存在を無視し、言いたいことを言いたいように言い放つ。理解できない人・共感できない人をスルーする。これは対話の放棄であり、コミュニケーションの拒絶と言えるでしょう。 きわめて幼稚な振る舞いです。

しかしながら、「post-truth的振る舞い」は敵と味方を峻別する機能が特徴でもあります。かつてドイツの法哲学カール・シュミットは『政治的なものの概念』のなかで《「友-敵理論」(政治の本質を敵と味方の峻別と規定)》を展開しました。ナチスを理論支えしていたことでも有名です。

その理論にのっとれば山本大臣はまさに政治的振る舞いをしていると見做せるわけですが、一周してかつての大戦前期における帝国主義国家群の振る舞いをリプレイしているかのようで、危うさを感じてしまいます。そして山本大臣だけに限らず、現政権に限らず、世界中の国家においても同様のリプレイが見られます。

リベラリズムは「他者の立場」と「対話」を担保しようと懸命に取り組んできましたが、ここ最近はすっかり流行らなくなってしまって、半分「なかったこと」にされつつあるようです。熟議もパブリックコメントも遺物のような扱いです。

心理臨床と「alternative facts」

政治的にあるいは世間的に「他者との対話」が軽視される風潮が強まると「精神的に病を抱えた人たちとの対話」がおろそかにされやしないか気になってきます。同様にカウンセンリグ(心理療法含む)というものが軽んじられるようになるかもしれません。そのような社会的後退は実現してほしくないところですが。

さて、「post-truth」には「alternative facts」という別の言い方があります。「もうひとつの事実」という意味ですが、これを政治的言説で使われるのとは別の文脈で捉えなおすと、少し様相が変わってきます。たとえば、クライアントのこころをケアする心理臨床へ適用するとどうなるでしょうか。

心理臨床において、セラピスト(カウンセラー)はクライアントが抱いている「真実」や「信念」のようなものを尊重しつつ対峙し介入します。そのうえでクライアントがこれまでとは違う視点で個人的な信念・真実を捉えなおしてみるという作業が大事になってきますし、それが治療の助けになります。

発見された「新たな見方」はまた、クライアントにとって「新たな真実」と言えるでしょう。そして「新たな真実」は「alternative facts」と言い換えることができるかもしれません。ここで言う「alternative facts」はクライアントが自己と対話することによって発見されるという点で興味深くあります。

付け加えると、ここで言う「alternative facts」は政治の手段ではなく、クリエイティブな営みの結果としての「創造物」でもあります。対話をすることで発明されるものとも言えるでしょう。ともあれ政治的な文脈を外してしまえば、「alternative facts」は極めて治療的であるのです。

政治的な言説が友と敵を峻別し続ける昨今ではありますが、《「post-truth」=「alternative facts」》の機能に注目するのではなく、《「対話」=「コミュニケーション」》によって創造(発見)される《「イノベーション」としての「post-truth」=「alternative facts」》を大事にする態度で学んでゆきたいと考える次第です。

心理臨床家の本分は政治ではありませんしね。

以上《心理臨床的「post-truth」=「alternative facts」》のお話でした。

今回はここまでに。